グローバルなオープン協創で加速する社会イノベーション
急速な都市化の進行により,交通渋滞や大気汚染,エネルギー消費の増加などの社会問題が引き起こされている。日立は,生活者(市民)価値を起点とした都市の在り方に注目し,都市や市民のデータを収集・分析し,データ駆動により都市計画や運営を改善することで,人間中心の都市「People Centric City」の実現をめざしている。
本稿では,都市計画・都市運営に関して日立が取り組む日本国内・海外の事例に言及しながら,データ駆動型都市を支える基礎技術の実装例について概説する。そして,人間中心の都市づくりのためのデータ基盤の在り方について述べる。
今日,都市は地球上のかつてなく広い領域を覆い,なおますます多くの人が都市に引きつけられている。国際連合の統計によれば,2018年,世界人口の55%は都市に住み,2050年までには68%に到達すると見込まれている1)。急速な都市人口の増大は,住宅,交通,エネルギー,環境だけでなく,雇用,教育,健康などに関する新たな問題を引き起こしつつある。
一方で,今後日本で同時に深刻化するのは,総人口減少と大都市への人口集中による,地方都市の人口減少である。人口が大幅に減少すれば,消費低下による民間企業の投資引き上げや税収減による公共サービスの低下を招き,そこに暮らす人々の快適さを奪っていく。
国連の持続可能な開発目標(SDGs:Sustainable Development Goals)は,「包摂的,安全,強靭(じん),かつ持続可能な」都市づくりを,国際社会の重要アジェンダの一つとしているが,その目標達成のためには,人口過密に起因する問題と人口減に起因する問題の両方に目を向けなければならない。
日立は,この二つの意味での持続可能な都市づくりのために,新たな技術を開発し,世界各地で実装する取り組みを開始している。代表的なものとしては,2016年,東京大学と「日立東大ラボ」を設立し,「ハビタット・イノベーション」プロジェクトを開始した2)。政府が示すSociety 5.0の理念である「人間中心」,「データ駆動型都市」を実現するための,産学共同の研究活動である。
データ駆動型都市の実現は,技術のみによってはなされない。代表的なものが,データのガバナンスやプライバシー保護に関する住民理解である。バルセロナ市における市民参加型のスマートシティや,トロント市における市民データの所有権をめぐる議論が示しているように,人間中心の都市を実現するためには,市民をはじめとする多様なステークホルダーとの協創が不可欠である。
本稿では,まず2章に日立が考えるPeople Centricとデータ駆動型都市の意味を述べる。3章,4章では,都市計画・都市運営に関わる日本国内外の事例に言及しながら,データ駆動型都市を支える基礎技術の実装例を説明する。5章では,市民参加型の都市づくりのための住民理解やデータ基盤の在り方について述べる。
都市が提供するサービスは,移動,教育,健康,娯楽,治安など多種多様である。それぞれのサービスの目的達成は,さまざまな手段の組み合わせによって行われる。
例えば,移動一つとってみても,鉄道やバスといった交通手段が関与するだけではない。治安の良い街づくりが車の利用を減らして渋滞を緩和させるかもしれないし,道路の排水設備に投資して冠水を防ぐことが移動スピードを上げるかもしれない。目的それぞれに対して,複数の解決手段をどう組み合わせるかが問題となる。つまり,都市問題とは多目的組合せ最適化問題である。
多目的の中には相反するものも含まれる。そのため,住民が参加して主体的に都市の在り方を選択し,実現手段を決めていくことになる。過密都市も人口減都市も,使えるリソース(予算,人材)が相対的に小さくなるという点では共通であり,合意された目的に対して,今後,より緻密な最適化が必要となっていく。現代の都市はこれまでも「人間中心」であったと言えるが,今改めてPeople Centricといわれることの意味は,今まで以上に住民の主体性や参加が求められるところにある。
People Centricを実現させるのが「データ駆動型都市」である。住民が参加するには,都市の現状を正しく把握することが必要となる。IoT(Internet of Things)によるデータ収集とデータの可視化がこれを支援する。組合せ最適化を解くためには,データ分析やシミュレーションといった高度な数理技術が必要となる。また,住民の合意で決定された事項を低コストで実行するには高度な自動化を必要とし,そこではデータからの学習能力を持つAI(Artificial Intelligence)やロボットが活躍する。
技術は利便性をもたらすが,技術をどう使うかの意思決定の中心には常に住民の合意と参加を置く。これが日立が考えるSociety 5.0でのPeople Centricの意味である。
日立東大ラボは,「ハビタット・イノベーション」プロジェクトの取り組みの一つとして愛媛県松山市をフィールドに,デジタル技術を活用した「データ駆動型都市プランニング」の実証を行っている(図1参照)。
図1|データ駆動型都市プランニング回遊行動などの計測およびシミュレーションを基にした施策効果測定と,専門家以外の人にも受け入れられやすいデータ可視化手段によりまちづくりにおける合意形成を支援する。
松山市は2012年より,「みんなで歩いて暮らせるまちづくり(街路整備)〜子育てから老後まで 暮らしのためのモビリティ・デザイン〜」を掲げ,街路整備に取り組んでいる。快適・健康な市民生活実現と道後観光客の回遊行動促進のため,松山城ロープウェイ街と松山市駅前の花園町の歩行者空間整備を進めてきた。例えば花園町では古いアーケードを撤去し,車道を歩行者空間として再整備した。
これらのまちづくりでは,松山アーバンデザインセンター(UDCM:Urban Design Center Matsuyama)が中心となっている。ワークショップなどで市民との対話を繰り返し,さらに東京大学の知見を得て交通量調査や整備後の交通流予測を行い,それに基づいて市民や地権者との合意形成を図ってきた3)。
市街地の回遊行動促進施策を効果的に立案・実行するには,施策前後の人流計測,施策案の効果予測,施策の合意形成手法が必要となる。人流計測は一部でGPS(Global Positioning System)データも活用されているが,手作業が主であり,計測の自動化ニーズは大きい。また,効果予測のためには人の回遊行動のモデル化が必要である。加えて,計測したデータから課題や解決案を抽出し,市民参加によるまちづくりに反映するための方法論はいまだ確立されていない。
そこで日立東大ラボの取り組みとして,松山市ステークホルダーの協力を得て3Dセンシング技術(ステレオカメラによる人流計測)を2017年に道後温泉商店街に設置し,人流計測の試行を実施した。そのデータは東京大学の回遊行動モデル開発に反映される。また2019年2月にUDCMに設置したNEXPERIENCE/Cyber-PoC for Urbanで,市民および観光客の回遊行動データを可視化し,まちづくりの合意形成に活用する検討を進めている4)。
ASEAN(Association of Southeast Asian Nations)諸国は高温多湿な熱帯気候であり,ビルの電気消費量は,電気消費量全体の60%を占める5)。その大半は,建物利用者を快適にする空調で使用されている。持続可能な都市の開発と質の高い生活をめざすうえで,ビルのエネルギー消費を減らすと同時に,利用者の快適さを維持することが地域の社会課題となっている。
2009年にシンガポール共和国は,2030年までに80%のビルで環境基準を満たし,温室効果ガスの排出を36%削減するという国家目標を設定した6)。この目標を達成するために,政府は各種インセンティブプログラムを開始した。これには,GBIC(Green Buildings Innovation Cluster)7)が含まれ,エネルギー効率に優れた建設技術の開発・導入が促進されている。また,政府は新たにグリーンラベル制度8)も構築し,環境の持続可能性に加えて,ビル利用者の健康,幸福,快適さも重視している。
現代のビルでは,ビル内の個別のサブシステム(空調,照明,電源,エレベーターなど)において高度な技術が利用されている。しかし,こうしたシステムは相互接続することなく個別に機能しており,また,利用者の存在や密度,個人の快適性といった周囲の状況変化にも対応していない。
商業ビルにおける利用者の存在と密度は,さまざまな商業活動により,通常の営業日内でも大きく変化することがある。一部の空間のみが使用されている場合や,長時間にわたって使用されないことも頻繁に起こる。オフィスビルにおける実際の空間の平均占有率は,1日のピーク時間であっても,設計上の数値の50%程度となることもある9)。
個人が快適に感じる温度は,性別,年齢,体重などによって変わることがある。使用する環境パラメータが限定された従来の標準モデル[PMV(Predicted Mean Vote)モデル,適応モデルなど]は,人間の温度感覚を評価するうえで不十分である10)。より多くの環境パラメータや,体温・血圧・呼吸などの生命兆候を利用した優れた快適温度モデルが必要である。
空間の利用方法が多様であり,個人の快適さが異なることから,ビルのエネルギー最適化は大きな課題である。
2019年2月に,日立がシンガポール政府より2年間にわたり研究助成を受けることが決定した。日立は,IoTとAIを利用して,スマートビルディング/デジタルツインソリューションを開発する。
このソリューションは,人間中心の自動ビル管理ソリューションを実現することで,ビルにおける多数のサブシステムの制御を連携させ,空間機能,利用者の活動,個人の快適性といったビルのダイナミズムに適応する(図2参照)。
エネルギー需要が増加する中,エネルギー効率は,シンガポール経済の短期および長期的な発展において重要な要因となる。このソリューションは,ビルのエネルギー節減において重要な可能性を秘めているが,ビルの改装は不要であり,個人の快適性を損なうこともない。また,熱帯地域における高層のSLEB(Super Low Energy Buildings)を実現するうえで,参考モデルとなるだろう。
本章では市民参加型の都市づくりのためのデータ基盤の在り方について論じる。
カナダのトロント市では,Alphabet Inc.傘下のSidewalk Labsが,公的企業Waterfront Torontoとともに,デジタル技術による地域課題解決をめざす都市開発プロジェクト「Sidewalk Toronto」を推進している11)。Sidewalk Torontoでは,市民生活に関わるデータ収集・分析をその中核に据える一方で,市民の代表や専門家からなるData Governance Advisory Working Groupを立ち上げ,「社会的目的」,「透明性」,「オープン性」,「積極的な市民エンゲージメント」,「コミュニティの信頼」,「人々を第一に考える」などの原則に基づく「責任あるデータ利用に関するポリシー」策定をめざしている。その背景には,市民生活に関わるデータを,一企業が収集・利用することへの強い懸念があった。現在,Sidewalk Torontoは,独立機関であるCivic Data Trustによる市民データ管理を発表するなど,積極的にこの懸念の払拭に努めている12)。
また,スペインのバルセロナ市では,従来の技術中心のスマートシティから市民中心のスマートシティへの転換をめざし,データ利用への市民参加を重要視している13)。実証実験中のDECODE(Decentralized Citizens-owned Data Ecosystem)では,市民自らが個人データの秘匿や共有をコントロールできるようにしている。例えば,公共交通機関には移動データを開示するが,保険会社や広告会社には非開示にするといったことが行える14)。
このように先進的なデジタルシティの取り組みでは,市民のオーナーシップや参加をそのシステムに組み入れることが重要視されつつある。デジタルシティの実現には,市民を中心に据えたデータオーナーシップやプライバシーの保護が不可欠な要素となっているのである。
市民のデータ(パーソナル情報)を流通させ,都市サービスの改善や最適化に役立てることが,デジタルシティの大きな取り組みであるが,パーソナル情報漏洩(えい)への懸念が問題である。プライバシーを保全しながら利活用を実現できる技術があれば,データ利用への同意が得られやすくなり,デジタルシティの可能性が広がる。
これを助ける仕掛けとして,日立が取り組んでいる技術の一つが秘匿分析技術である。秘匿分析技術では,暗号化されたままのデータを分析でき,暗号化された形で相関ルールを出力する。相関ルールを解読できるのは,暗号化パスワードを持つデータオーナーだけであり,プライバシーを保全しながら利活用(分析)をすることが可能となる15)。
また,重要な都市データとしてカメラ映像がある。モバイルアプリである「東急線アプリ」のサービス「駅視-vision※)」では,駅の混雑情報をリアルタイムで配信する際に,カメラ映像のままでは駅利用者のプライバシーを侵害するため,日立の画像処理技術が活用されている。図3に示すように,背景画像に方向付き人型アイコンを重畳して合成することで,直観的に混雑度が分かるとともに,映った人物のプライバシーも守られる16),17)。
このように日立は,デジタルシティのデータオーナーシップやプライバシー保護を実現する要素技術を開発中である。一方で日立東大ラボでは,データ駆動型社会に向けて,人文・社会科学の研究者と「社会に受け入れられるデータ利活用の諸条件」の研究を進めるとともに,これらを実装・実証する「フューチャーリビングラボ」と呼ばれる市民参加型デザイン活動を開始している。
本稿では,都市や市民のデータを収集・分析し,データ駆動により都市計画や運営を改善する「データ駆動型都市」の国内外の実例を紹介し,さらに活用される都市データの悪用を回避するためのデータガバナンスやプライバシー保護について説明した。少子高齢化や都市化の進行はグローバルでの共通の社会課題となりつつあり,対策の重要性は今後ますます高まる。日立はさらにグローバルに持続可能な都市づくりに貢献していく。