社会・生活課題の解決で人々のQoL向上に貢献するライフソリューション
情報技術の発展によって利便性の高いサービスが浸透し,他者に頼らずとも生活ができる環境が整う一方,地域のつながりが弱まっていると言われている。人々の創造性が重視される社会であるSociety 5.0を実現するため,日立は,市民が技術を活用して主体的に地域へ参画することを促すフューチャー・リビング・ラボという活動を始めた。
この活動では,東京都国分寺市の中央研究所内に設立した「協創の森」を拠点に,地産地消サイクルへの市民の参加を実現するイベントの実施や,新たな地域通貨につながる地域イベントの電子チケットの実装を通じて,デジタル時代の市民参画についての探索を行っている。
2016年,日本政府はSociety 5.0(超スマート社会)というコンセプトを発信した1)。しかし,Society 4.0である現在の情報社会との違いは必ずしも明確ではなく,人々が享受する新しい価値やそれを実現する社会システムの姿については議論の余地を残している。情報社会は,コミュニケーションコストを低下させた一方で,地域コミュニティのつながりが弱まり,さまざまなリスクが個人に直接的にふりかかるレジリエンスの低い社会になったことが問題視されている2)。
2018年に一般社団法人日本経済団体連合会はSociety 5.0を「創造社会」と名付けたが3),それに先駆けて日立は,ビジョンデザインという活動を推進している。この活動では,「超スマート社会」は「super smart society」ではなく「beyond smart society」であると位置づけ,新しい時代の社会システムの具体例を映像などを用いて示すことで,多くの人々との議論を進めている4)。ビジョンデザインで注視をしているテーマの一つが「信頼」である。デジタル技術が社会に広く浸透することで,人や組織のつながり方に変化が生じている。これに対し,「地域コミュニティの信頼醸成は,デジタル技術が入ることでどのように変わりうるのか」などの問いを立て,社会システムが将来的に備えるべき機能とは何かについて,ワークショップなどを通じて検討し,ビジョンを形成・発信している5)。
ビジョンを基にした議論の重要性が高まる一方,現実の社会で生じる課題はワークショップで議論するだけでは解決できないことも事実である。日立では,現実の生活の中から将来の社会システムを構想し,地域社会に変化をもたらすことをめざすフューチャー・リビング・ラボ(FLL:Future Living Lab)という活動も始めている。
リビング・ラボとは,市民がサービス企画とモニターとしての参画を行う市民参加型活動であるが6),デンマーク王国でリビング・ラボの研究を推進するデンマーク工科大学の安岡美佳氏は,その本質について,創造力に対する自信を醸成し,自分のいる環境づくりを率先してデザインすることにあると述べている7)。
日立が,リビング・ラボ活動に「フューチャー」を加えているのは,課題探索と問題解決の両面において,Society 5.0に向けて将来志向で行うことを意図したものである。FLLの狙いは,デジタル時代の市民参加と,将来志向の社会システム構築における日立のような大企業の役割を探索することにある。ビジョンを描いた日立のチームは地域の人々と共に未来を考え,それに向けてできることから始める。従来の顧客協創は,組織対組織で課題を共有することからスタートをしていたが,FLLでは,より小さなチームや個人どうしが地域社会に対する思いを共有することからプロジェクトが生まれる。プロジェクト参加者は新たな価値観を探りながら,技術だけで乗り越えることができない課題を乗り越えていく。
日本は少子高齢化とそれに伴う生産年齢人口の減少に起因する課題を抱えており,課題先進国とも呼ばれている。さまざまな地域で地域課題解決のプロジェクトを推進しているソーシャルデザインの専門家の筧裕介氏は,日本の基礎自治体を,立地,産業,人口などの現在の状況と抱えている課題で以下の3パターンに分類している8)。
FLLでは,東京社会イノベーション協創センタ(CSI)を擁する中央研究所のある東京都国分寺市において,(2)の特徴を持つ実地に根ざした課題発見と,国分寺市にふさわしい将来像/ソリューションの探索に着手した。
国分寺市は東京都の北多摩地域に位置し,741年に建立された武蔵国分寺がこの地にあったことに由来する。戦後は東京のベッドタウンとして発展し,1964年に市制施行し国分寺市となった。現在の人口は約12万4,000人で微増傾向にある。2017年に策定された「地域産業活性化プラン」では,地域への愛着の向上や関係人口の増加を狙った具体的な目標を次のとおり定めている9)。
FLLでは,これらの状況を踏まえ,CSIの強みであるデザインとデジタル技術を用いて,市民と地域とのインタラクションを深化させるサービスの構築を研究対象とした。インタラクションの深化の過程として,以下の三つの段階を設定した。
なお,FLLの活動の推進と並行し,日立の研究開発グループと国分寺市は,イノベーション創生による地域活性化に向けた包括連携協定を締結した。
農業が約300年続く国分寺市では,現在でも野菜・花卉(き)類を中心に専業農家が存在する。2015年より同市の農畜産物は「こくベジ」と呼ばれ,農家から約110店舗の地元飲食店へ直接配送され,独自の地産地消のシステムが形成されつつある。しかし,宅地化による農地の減少や後継者不足の問題を抱える地場農業を中心に形成されたこのつながりを今後も維持するためには,こくベジ活動と市民のインタラクションの一層の深化が求められる。
日立は,国分寺市の新たな文化の醸成をめざすこくベジとのコラボレーションによって,Society 5.0の社会システムを構築するヒントを獲得したいという思いから,こくベジ配送を担うNPO「めぐるまち国分寺」へアプローチを行った。両者は,地産地消システムへの市民の直接参加という目標を共有し,市民によるこくベジ配送の仕組みを構想し(図1参照),2018年11月および12月に開催された地域イベントの中で,野菜配送企画「つれてって、たべる。わたしの野菜」を実施した。
本企画では,参加者は駅に近い市の公共施設で受け取った野菜を飲食店まで徒歩で配送し,その場で調理されたものを食べることができる。先に示した,「知る(市民へのこくベジ活動の認知向上)」と「参加する(配送への参加)」の2点を促進することを図ったものである。日立とめぐるまち国分寺のメンバーは一連のサービスデザインを共に行い(図2参照),日立は参加者が使用するウェブアプリケーションや,ランチョンマット,パンフレットなどのタッチポイントの制作を行った(図3参照)。
全日程を通して約360人が会場を訪れ,76人が配送に「参加」した。アンケートでは約95%が満足しており,自由記述回答からも地産地消を通した市民ネットワーク構築への共感がうかがえた。一方,「こくベジを支える活動に参加したい」人は26%にとどまり,恒常的な参加へ結びつけることについては課題を残した。他方,協力者である農家と飲食店からは今後に向けた,より積極的な参画意思が示され,企画を通して「育てる,貢献する」へのインタラクションの深化が見られた。
図1|市民によるこくベジの配送の仕組み「つれてって、たべる。わたしの野菜」これまで「お客さま」だった市民が,地産地消のサイクルの中心的な役割を担う。
国分寺市の小売吸引力指数は0.507(2014年時点)9)と,域外への消費流出が上回っている。近隣に立川市や吉祥寺のある武蔵野市などがあり,国分寺市を選好して買い物に来る人が少ないことが考えられる。お金を市内で使ってもらえるようにすることが産業活性化の観点からは重要であり,そのための施策として1999年より市全域で使える「こくぶんじカード」が発行されているが,利用者の新規登録数は減少しており,高齢化が進んでいると言われている。
FLLでは,地域で価値が循環する新しい形の地域通貨の設立をめざし,その第一歩として,商店会を中心に毎年夏季に開催されている街バルイベント「ぶんじバル」において,主催者と協同でチケットの電子化を行った。ここでも,日立と主催者との関係は,新しい地域通貨の実現について強い思いを持つ研究者と商店主の思いの共有から広がっていった。
チケットの電子化は,従来の紙チケットの計数や紛失などの問題解決も課題として設定したが,より重視したのは,飲食店での決済を地域のつながりを築く機会として強調することであった。法定通貨の代替として使用するのであれば,新たな地域通貨を起こさずとも利用可能な決済サービスが数多く存在するが,ここで求められていることは決済時間の短縮ではなく,飲食店と市民との間で行われるつどの決済を,両者の関係構築につなげていくことであると考えた。
電子チケットの一番の特徴は,決済時のユーザーインタフェースにある。決済には来店した市民のスマートフォンを使用する。画面には二つの決済ボタンが近接して並んでおり,市民と店員は一緒にこのボタンを一定時間押さなければ決済ができない(図4参照)。物理的に両者の距離を近づけることで,対面で会話を楽しむ小さな時間を提供するのである。
決済の安全性はブロックチェーンを用いることで担保した。「ぶんじバル」終了後も,プレミアム分を負担するスポンサー企業を募集可能にするなどのアップデートを行い,地域飲食店の協力の下で実証を継続している。2018年は,電子チケットの対応店舗,流通割合はいずれも限られたものであったが,対応店舗の店主,来店客の評価は高く,新たな地域通貨の実現に向けた第一歩を踏み出すことができたと考えている。
FLLは,より多くの地域住民を巻き込んだ課題認識と着実な地域への実装をめざし,2019年度に開設した「協創の森」10)を拠点に活動している。具体的には,「協創の森パートナープログラム」で国分寺市役所の職員とプロジェクトルームを用いた「地域のつながり」をテーマとしたプロジェクトを開始した。また,市職員20名前後と共に,Society 5.0の理解や市の課題を把握するためのワークショップを開催した(図5参照)。2019年10月には,国分寺市長を招き,日立馬場記念ホールでのシンポジウムを計画している。これらの活動を通じて,地域課題の解決に貢献していく。