デジタルトランスフォーメーションを担う人財の育成・教育
データ利活用では,ビジネス課題を理解して統計学やAIなどのデータサイエンスの知識を活用しながら,ITでデータを処理・分析して,ビジネスにフィードバックすることが必要になる。技術進歩の著しい昨今において,さまざまなビジネス課題に対応するためには,課題解決に必要なスキルを持つ専門家がチームを組んで,データ利活用に取り組まなければならない。本稿では,さまざまなデータ利活用のニーズに応える専門家集団を育成するべく,人財の育成と相互研鑽に取り組むプロフェッショナル・コミュニティ活動について紹介する。
デジタルシフト,あるいはデジタルトランスフォーメーションに必須のデータ利活用においては,統計学やAI(Artificial Intelligence)などのデータサイエンスのスキルが必要であるが,成果を出すにはそれだけでは十分ではない。求められるのは,ビジネス上の課題を理解し,統計学やAIなどの知識を駆使しながら,ITも活用してデータを処理・分析し,ビジネスにフィードバックしていく,そのようなスキルセットである(図1参照)。
例えば,製造現場にIoT(Internet of Things)を導入して効率化するには,歩留まりが安定しないなどの現場の課題を理解したうえで,それをデータサイエンスの問題に変換し,データ分析した結果(例えば環境データと歩留まりデータの相関関係など)を読み解いて,環境センサーの追加,環境の調整などの現場の改善につなげる必要がある。それには,製造現場のOT(Operational Technology)知識などを踏まえたビジネス力も必要になる。
一方で,顧客や現場のビジネス課題もさまざまであり,AIなど,新たなデータサイエンスやデータエンジニアリングの手法や技術が登場していることもあって,すべてのスキルを一人で極めることは難しい。それゆえ,課題に応じて,専門家がチームを組んで対応することが必要になる。
本稿では,データの利活用に際して異分野の専門家がチームを組み,さまざまな課題に対応していく「プロフェッショナル・コミュニティ活動」について報告する。
図1|データ利活用に求められるスキルビジネス課題をデータ利活用で解決する例と一般社団法人データサイエンティスト協会が提唱するデータサイエンティストに求められるスキル1)を示す。
ここでいうデータサイエンティストとは,データサイエンスに関する基礎スキルを持ち,ビジネスやデータエンジニアリングに関しても一定の理解を有する人財を指す。狭義にはデータサイエンスに関する専門スキルを有する人財をデータサイエンティストと呼称し,データエンジニアリングに関する専門スキルを有する人財をデータエンジニアと呼称する場合もある。
人財育成の施策を,実務との関係と自発的な行動で分類したのが図2である。OJT(On-the-Job Training)やOff-JT(Off-the-Job Training)は,ビジネス上の実務スキルを習得するうえでは有効であるが,技術開発競争が激しいAIなどに関するスキルでは,論文や事例を調べたり,専門家に聞いたりといった自発的な行動で,最新の知識を獲得することが重要になる。
加えて,図1に示すとおり,データ利活用で求められるスキルもさまざまであることから,課題解決に必要なスキルを持つ専門家がチームを組んで,データ利活用に取り組むことが求められる。日立はこのような専門家集団の育成に向けて,プロフェッショナル・コミュニティを立ち上げ,以下のような問題の解決に取り組んでいる2)。
プロフェッショナル・コミュニティでは,データ利活用に取り組む実務者が,データ利活用に関するアイデアを交換したり,専門家からの回答や助言を得たり,技術の理解を深めたりしながら,相互研鑽(さん)していく活動を行う。
前述の問題(1),(2)を解決するために,日ごろから専門家どうしが交流して協力しあう意識を醸成し,組織風土や組織文化として定着させることをねらっている。
この活動の中心となるのは,先端技術を活用できる人財の育成とグローバルな活動を支援するITインフラである。詳細は後述するが,先端技術の研究者などと直接対話できる機会を設けるだけでなく,オンラインでの情報共有や議論を可能にするITインフラ,データ分析の実践環境などを提供して,国内外の各拠点から実務者や専門家が参加するグローバルな活動をめざしている。
前述の問題(3)に対して,データ利活用に関わる実務者や専門家が理解しておくべき共通知識やスキルの整理に取り組んでいる。
IoTの活用などにはITからOTまでを横断的に体系化した知識やスキルの整理が必要になる。一方で,個々の分野では,OT分野におけるQC(Quality Control)7つ道具のように,データ分析に関する類似の取り組みも少なくない。そこで,関連する社内外の教育や認定制度などを調査し,まずベースラインとなる知識やスキルの習得に役立つものを選び,人財育成の指針として共有することとした。技術の進化も速いので,内容は継続して見直していくとともに,上位スキルも含めて体系化に取り組む。
急速に進化しているAIなどの最先端技術を顧客の課題解決に広く適用していくためには,AIやデータサイエンスに関わる最先端の研究を行うトップクラスの研究者と実課題に取り組む実務者(データサイエンティスト)との交流が必須である。研究者は,単に技術を提供するだけではなく,研究トレンドやその適用事例といった情報を実務者と適宜共有し,また,実務者との交流の中で次なる顧客の課題や技術の課題を把握することも期待される。実務者は,研究者や他の実務者との情報交換を行う中で,さまざまな事業分野に適用可能な先端技術や事例を広くキャッチアップし,自身の担うソリューションへの技術適用の可能性を模索することが求められる。
このような深い交流を実現するために,月数回の頻度で研究テーマ別の研究討論会を開催し,最先端の研究動向,社内トップ研究者の研究成果やその適用事例を社内で共有している。研究討論会では,外部講師による招待講演,社内でも特に関心の高いテーマに関するパネルディスカッション,討論会中に匿名での質問を受け付けるチャットシステムなど,知識共有や議論活性化のためのさまざまな工夫を実施している。例えば,討論会と連動したSNS(Social Networking Service)コミュニティを開設し,物理的に研究討論会には出席できなかったメンバーを交えた議論や,講演した研究者から実務者への問いかけ,同じ課題意識を持つ実務者どうしの議論など,討論会会場の質疑応答の限界を超えた情報交換の仕組みを提供しており,さらに,討論会後も研究者や実務者が議論を継続できる仕組みを提供している(図3参照)。
このようなSNSコミュニティは,プロフェッショナル・コミュニティ内の情報交換・交流ニーズを適切に把握し,自律的な参画を促進する場としても期待されている。単純にさまざまな立場の人どうしをつなげるだけでなく,今後はこの場の中でやり取りされる情報を分析して研究者や実務者のさらなる自己・相互研鑽につながるよう情報のキュレーションの仕組みを検討していく。
図3|トップクラス研究者の役割トップクラス研究者はAIなどの最先端技術を開拓し,これを数多くの実務者(データサイエンティスト)に展開することで,顧客の課題解決(ソリューション)を効率的に提供する。
データサイエンティストや研究者がさまざまな顧客の課題に対する迅速なソリューション開発を効果的に進めるためのAI技術プラットフォームを整備している。
AI技術プラットフォームの中心となるのは,AI・分析のソフトウェア群であり,深層学習をはじめとしたOSS(Open Source Software)と日立の特徴的なAI技術[Hitachi AI Technology/H3)および,AT/MLCP(Hitachi AI Technology/Machine Learning Constraint Programming4))],成長型対話AI5),根拠説明AI6)などが搭載される。また,AI活用に向けたデータ準備に必要となるデータクレンジングやデータブレンディングなどのデータ処理ソフトウェア,さらには,効果的に計算処理を行うためのGPGPU(General-purpose Computing on Graphics Processing Units)やCMOS(Complementary Metal-oxide Semiconductor)アニーリングマシン7)などのハードウェア環境より構成される。これらはR&D(Research and Development)クラウド上に構成され,研究者,実務者,エンジニアがプラットフォームを進化させるだけでなく,事業部門が新たなソリューション創生を容易にかつ試行的に行えるようにする。将来的には,本環境を顧客やパートナーに公開し,エコシステムを作りながらソリューション創生を拡大していく(図4参照)。
このように,研究者と実務者との交流の場や,最先端技術のプラットフォームを提供することにより,研究者や実務者が互いに能力を高めあうコミュニティが醸成され,組織のデジタル変革を加速させることができると考えている。
図4|AI技術プラットフォームデータサイエンティストや研究者がさまざまな顧客の課題に対する迅速なソリューション開発を効果的に進めるための技術プラットフォームを整備している。
プロフェッショナル・コミュニティでは,日立が保有するさまざまなデジタル技術の活用事例および活用ノウハウを互いに提供・共有し,実務者どうしが相互研鑽しながらデータサイエンスのスキルを発展させていく取り組みを推進している。この活動を通じて,さまざまな部門の実務者の知恵を結集し,人財育成や業務改革に活用することによって,データ利活用によるOT×ITビジネスの発展に貢献している。
日立は2018年度に,IoT拠点としてタイにLumada※)センターを設立するなど,デジタルソリューション事業のグローバル拡大を推進中である。このようなデジタル技術を活用するグローバルビジネスの推進には,現地のニーズに対応可能なデジタル人財が不可欠であるため,各地域のデジタル事業推進組織が連携し,グローバル事業を推進するデジタル人財の育成を相互に支援している。
例えば,2018年12月には,タイ・シンガポール・香港を拠点に活躍するデジタル事業推進人財が,日本の社内デジタル事業推進組織の下に集合し,Lumadaを活用したデータ利活用事例とそのデータ分析手法について学んだ。具体的には,故障予兆診断や故障原因診断などのデータ分析の代表事例の学習,Lumadaを活用したデータ分析演習,ワークショップによる分析案件の進め方に関するディスカッションなどを実施した。
このような現地ニーズに対応するグローバルデジタル人財育成の取り組みは,タイ,シンガポール,香港をはじめとして,今後,ニーズ・ビジネス状況に応じてグローバル各拠点と連携して拡大推進していく計画である(図5参照)。
図5|グローバルな活動を支援する取り組みナレッジ・ノウハウ共有活動の一環として,グローバルビジネスを支援する取り組みを推進中である。現地ニーズに対応するデジタル人財育成を支援するとともに,Lumadaを活用したデジタル事業推進を支援している。
データ利活用のさらなる発展に向け,自己啓発による人財育成支援を進めている。自己啓発は,座学を主体とする教育講座受講などが一般的であるが,より実践的で日常的に学習することを目的として,データ分析の実践を通じたノウハウ獲得とスキル向上の取り組みを進めている。
社内利用可能な共通分析実行環境を活用し,分析に関するナレッジ・ノウハウを共有する。みずから実際に分析を実行し,互いに質問を出し合って解決策を見いだすことにより分析に関するナレッジ・ノウハウを習得し,互いに切磋琢磨(せっさたくま)してデータサイエンスのスキルを高めあっていく取り組みである。本自己啓発プログラムへの参加メンバーは,全社共通の分析実行環境を利用し,データ分析を実践するメンバーが集うコミュニティに参加してコミュニケーションを図る。この取り組みにより,互いの課題,解決策を共有することができ,相互に援助しあいながら実践的なスキルアップを進めることができる。
分析実行環境は,全社で利用するデータ分析環境を,全社共通のITインフラ環境により提供している。社員は,自身のPC環境から,全社共通のデータ利活用環境にアクセスし,AI,機械学習をはじめとするデータ分析ツールを利用することができる。また,データ分析の初心者には,学習コンテンツ,トレーニング支援を提供している。このように,データ利活用の自己啓発をサポートすることで,データサイエンスへの取り組みの活性化を支援している(図6参照)。
図6|自己啓発を支えるデータ分析環境の提供データ利活用の発展に向けた自己啓発支援として,データ分析の実践を通したノウハウ獲得とスキル向上の取り組みを推進中である。社内利用可能な共通分析実行環境を活用し,分析に関するナレッジ・ノウハウを共有する。
さまざまな分野の専門家が,自発的にチームを組んで,さまざまなデータ利活用に取り組む。そうした働き方が,デジタル時代の組織の力になり,社内外の専門家とオープンイノベーションを推進する力になる。
今後は本稿で紹介した取り組みを進化させ,その成果を顧客やパートナーなどにも提供することで,協創を通じた社会イノベーションの拡大に寄与していく。